たまきはる命に向かふ我が恋 参





 気が付いたら自室の寝床の上にいた。瞼を開けると周囲の眩さにくらくらしてしまい、慣れるまでかなり時間がかかったが、見慣れた天井が視界に入ったとき、いったいどうしてここに戻ってきたのだろうとカヤナは不思議に思った。身体には毛布がかかっていて、白い寝巻を纏っている。窓から漏れている光の明るさからすると、時間帯はまだ日中のようだ。しかも雨が降り続いているらしく、外は白くぼんやりとした靄に覆われていた。
 いつの間に眠っていたらしい。起き上ろうとしたが、かなりの気怠さがあって途中で諦めてしまった。
 自分の状況が分からず混乱していると、近くから声がした。

「カヤナ様。お加減はいかがです」

 聞き慣れた男の声だった。彼は寝そべるカヤナの前に立ち、額にそっと手のひらを当てた。男の手が、だいぶ冷たく感じられる。どうやら熱を出しているようだ。やれやれ……という呆れた呟きが聞こえてきて、怒られるのではないかとカヤナは緊張した。

「この悪天候の中、外に出るなんて、愚か者のすることですよ」

 そうか、イズサミと外に繰り出して大雨に降られ、風邪を引いて部屋に戻ってきたのだ――しかし、どうしてこの部屋に帰るまでの記憶が無いのだろう。従者に聞き出すために唇を開くのだが、途端にくらくらしてしまって変なうめき声しか出なかった。

「高熱を出したカヤナ様を、イズサミ様が運んでくれたのです。やむを得ず翼の力を使ったと言っていました。迷惑をかけたことを私から詫びておきましたが、カヤナ様も起き上がれるようになったらイズサミ様のところに謝りに行きなさい。彼も体調が悪そうでしたから」

 イズサミが? 彼の容体を確かめたくて、起き上がるために足を踏んばらせたが、うまく力が入らず、結局毛布の中にうずくまるしかできない。動けないならせめて会話がしたいと、どうにか声を絞り出す。

「セツマ……私は熱があるのか……」

 喉が痛む。熱はかなり高いようだ。セツマの深い溜息が聞こえてきた。

「そうです。自業自得ですけどね。シル様にご報告したら、呆れてものも言えないご様子でしたよ。
 カヤナ様、私は仕事があるのでここを離れなければなりません。侍女を置いていきますから、看病してもらいなさい。ただし、我が儘は言わないこと。あなたが悪いのですからね」

 寝床の近くにある簡易な木のテーブルに薬湯などを並べ、セツマはさっさと部屋を出ていった。
 静かになった室内に、雨音だけが響く。先ほど外に出ていた時より雨脚は弱まっているようだが、太陽は見えないらしく、昼間にしては少し薄暗い。長続きしそうな小雨といったところだ。
 寝返りを打つと、下半身の妙なところが痛んだ。なんだろうと怪訝に思い、原因に気付くとハッと身を震わせた。みるみるうちに羞恥が湧き上がってきて、耳の先まで痛いほど熱くなる。熱が出ているのは、もしやこれが原因なのではないのだろうか。
 イズサミと花畑にいたときの記憶をたぐり寄せる。確か、濡れた着物がうっとうしくて、彼の前で上半身裸になって――

「――いやだっ」

 急激にとてつもない恥ずかしさが襲ってきて、がばっと毛布の中にもぐる。ドキドキと胸の鼓動がうるさく、どうにかして鎮めたいのだが、冷静になろうと思えば思うほど記憶が鮮明に甦り、全身が火照ってしまう。
 そう、あの大きな木の下で、話しているうちに気分が盛り上がってしまったのだ。身を寄せたり、撫で合ったり、口付けを交わしたり、彼の大きな手であちこち触られたりして、そして――

「いやあああああ」

 ジタバタと暴れ、顔を毛布に押し付ける。ああ、恋人同士だからとはいえ、なんということをしてしまったのだろう、始めは全然そんなつもりはなかったのに、イズサミがカヤナの裸について妙に意識するものだから、こちらもなぜか恥ずかしくなってしまい、姿を見せまいと彼にくっついているうちに、温かな身体がとても愛おしくて、両腕に抱かれているのが嬉しくて、二人とも同じ愛の気持ちを抱いているのが本当に幸せで、この人とならいいと思ったのだ、身体に触れられることも、口づけをされることも、そして、本能のままに繋がることも。
 この痛みは、まさしくその時の痛みの名残だ。カヤナとイズサミは、互いに愛し合うがゆえに繋がった。あんなどしゃ降りの中よくやったものだと思うが、あの場所に、二人を遮るものは何一つなかった。ただただ涙が出るほど幸福で、温かくて、優しい空間だった。彼の声が思い出される。カヤナの名をそっと呼ぶ声が――

「カヤナ様」

 びくりと身体が震える。おそるおそる毛布から目だけを出すと、セツマが寄越すと言っていた若い侍女が近くに佇んでいた。ゆるく波打つ茶髪を後ろで束ねている、垂れ目が優しい顔立ちの綺麗な女性だ。

「ごめんなさい、起こしてしまいましたね」

 申し訳なさそうに言う。カヤナは首を横に振り、気を取り直して毛布の中から肩まで出した。侍女は寝床の近くのテーブルに近寄り、置いてあった鉄瓶を取り上げた。

「薬湯ですわ。セツマ様から、カヤナ様に服用して欲しいと」

 素直にカヤナは頷き、やっとの思いで上半身を起こすと、侍女に渡された湯呑で草花の香りのする薬湯を口にした。苦味と渋みがあり、口に広がる不味さにたまらず顔をしかめてしまう。

「お食事はどうされますか」
「いい……いらない。お腹はすいていない」
「分かりました。先ほど、イズサミ様がいらっしゃいましたよ」

 毛布の中に戻りかけていたカヤナは、えっと声を上げてその動作を止めた。

「イズサミが? あいつは大丈夫なのか」
「ええ、カヤナ様よりかは。少し顔色が悪いご様子でしたが、カヤナ様のことをひどく心配されていました。あ、その時これを」

 侍女が胸ポケットから一輪の白い花を差し出してきたので、カヤナは戸惑いながらそれを受け取った。花弁が七枚ついている、とても小さくて可愛らしい花だ。お見舞い品のつもりなのだろう。いい香りがする。
 侍女が薬湯を片付けている間にカヤナは再び寝床にもぐりこみ、香りを堪能したあと花をテーブルの上に載せると、ふうと息をついた。

「すまない、こんなことに付き合わせて」

 盆を持っている侍女は、目をしばたたかせてカヤナを見た。

「あら……気を遣っていただかなくても。私はナオツの城に昔から仕えている侍女ですもの。いつもしていることですわ」
「名はなんという」

 カヤナの問いに侍女は困惑したらしいが、笑みを浮かべて正直に答えた。

「リカリと申します」
「リカリ……」

 小声で何度か名を繰り返し、片付けを終えて戻ってきた彼女に、カヤナは試しに訊いてみることにした。

「なあ、リカリは、好きな人はいるのか」

 普段セツマとはできない話題だ。彼はタカマハラ家に仕えているせいで、カヤナがヤスナ家のイズサミと接触することをあまりよく思っていない節があった。特に恋愛関連の話題はご法度だったため、相手が二つの勢力の間にあるナオツに属する人間で、しかも女性ならばいいのではないかと踏んだのだ。
 リカリは、あら、と意外そうな声を上げて、窓際にある小さな椅子に腰かけた。普段からじっとしていないために侍女と話す機会などほとんどなく、侍女たちには嫌われているだろうと思っていたので、カヤナ相手に会話してくれそうな空気に密かに安心した。

「どうして、そんなことをお聞きになるの?」
「別に。気になっただけだ」
「ふふ……カヤナ様は、恋をなさっているのね」

 微笑まれながら言われ、見透かされた気分になったカヤナは悔しさのようなものを覚えて口元まで毛布をかぶった。しかし図星なのでどう反論していいか分からず、唸っているうちに、リカリは少し可笑しそうに笑んで続けた。

「好きな人がいると、とても幸せな気持ちになるでしょう。私にも好きな人がいるから、よく分かりますわ」
「そうなのか。相手は誰だ?」
「詳しくは申し上げられません。私もカヤナ様と同じで、想い合うには少し不都合な相手ですから」

 話に興味を持ち、カヤナは再び顔を出してリカリを見つめた。城や屋敷などですれ違うことはあったとしても、侍女などほとんど意識したことがなく、彼女の顔を見たのも今日が初めてではないかと思われるほどだった。
 リカリは温和で優しい喋り方をする女性だった。話していて不思議な安心感を持てる。考えてみれば、日常性格の中で女性と会話する機会すら皆無に近かったのだと、リカリのような人間までないがしろにしていた自分がカヤナは少し嫌になった。

「差し支えなければで構わないのですけれど、カヤナ様は、イズサミ様のどんなところが好きなんですの?」
「どんな……」

 熱のせいで未だ意識はおぼつかなかったが、まるで姉ができたようで嬉しくて、カヤナは必死に思考を巡らせた。

「ええと……優しい、ところかな……」
「優しいところ?」
「うん……」

 イズサミの、雨の中で交わされた契りの中での、泣きたくなるほど優しい手つきや名を呼ぶ声が思い出されて、自然に笑みがこぼれる。なんと心地よかったことだろう、身体を触れられて、一つになれて、自分が愛するのと同じように、相手に愛し返してもらうことができるだなんて。
 侵入された場所が微かに疼く。確かに、その時はとても痛くて、イズサミは相当心配していたようだが(見舞いにはその懸念も含まれていたのだろう)、今は痛みを遥かに上回る幸福感で、むしろ疼痛が愛おしいとさえ思えてくるのだ。未だに彼の両腕に包まれているようで、こんな温かさの中で死ねたらどれだけ幸せだろうかと胸が切なくなる。
 溜息をついているカヤナの姿を見ていたのだろうか、リカリは「幸せそうで何よりですわ」と微笑ましげに言いながら立ち上がった。

「話し込んでしまって申し訳ございませんでした。ゆっくりお休みになってくださいませ、カヤナ様」
「あ、リカリ……」

 呼び止めると、彼女は不思議そうに振り返った。

「はい?」
「また……こうやって、話してくれるか?」

 おずおずと尋ねる。リカリは一瞬苦笑したが、いいですよと頷いた。

「私は直接タカマハラ家に仕えている者ではないので、こういった時間を持つことは難しいかもしれませんが、すれ違った時にでも話しかけていただければ」
「そうか……うん、分かった」

 それでは、とリカリは部屋を出ていった。
 カヤナは天井を見つめて、満たされた気持ちから起こる溜息を何度もついていたが、先ほど受け取った白い花を思い出して、テーブルの上から指でつまんで取り上げた。ふんわりと優しい香りが広がって、その甘い心地よさがまるでイズサミ自身のようだと、唇に花弁を押し当ててうっとりと瞼を閉じた。